文学をこよなく愛する人へ


by bunntami

June.2005 Vol.2 文学のある風景 日比谷公園

吉田修一の小説「パークライフ」(文藝春秋社)の舞台となっている日比谷公園。高層ビルの谷間に突然現れる緑の木々たち。そこに佇む人々はどこか憂鬱で、それでいて体は何かを期待している。そんな都会のパークライフ。今日も、日比谷公園を歩きながら、小説「パークライフ」の世界を楽しんでみよう。
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吉田修一の小説「パークライフ」(文藝春秋社)の舞台となっている日比谷公園。高層ビルの谷間に突然現れる緑の木々たち。そこに佇む人々はどこか憂鬱で、それでいて体は何かを期待している。そんな都会のパークライフ。今日も、日比谷公園を歩きながら、小説「パークライフ」の世界を楽しんでみよう。
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心字池を臨むベンチ。写真は崖の上から見下ろした風景。スタバのカフェモカを飲んでいる彼女の目からは、ベンチで腰掛ける「ぼく」の姿はこんな風に見えていたのだろうか。実際に、池の側のベンチに腰掛けてみると、公園の木々の隙間を通り、ろ過されて届く外の世界の喧騒が、まるで遠い世界から吹いてくるそよ風のようで心地よかった。
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思い思いに過ごす人たち。近く会社で働く会社員やOLたちが、短いお昼休みの一時をベンチやカフェで過ごし、近所に住んでいるのであろう老人は、熱心に何かをデッサンしている。「ビジネスの時間」の中にぽっこりと浮かんだ「憩いの時間」。その時間を共有する私達は、日比谷公園という微かな絆で結ばれている。なんだか気球を飛ばすあの男の人の姿が思い浮かんできた。
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『パークライフ』吉田修一/文藝春秋社/410円(税込)
どうしてこの小説を読むと、こんな気持ちになるのだろう。なんだか気持ちがいい。誰もが一度は感じたことがあるような気まずさや他力本願なわくわく感、やるせなさの感情が描かれているからだろうか?職場や学校と家を行き来するだけのような毎日。思っていたよりも日々というものは簡単に過ぎる。それでもなにか楽しい変化が起こるじゃないかという微かな期待はもってしまう。だからといって自分がなにか特別なことをしたりするわけでもないのに。積極的に求めなければなにも変えられないのはわかっている。でもそうはなれない。一人でいることに慣れていく。それでも誰かとつながっていたい。街を歩けば、何百、何千人という人とすれ違う。言葉を交わすことも無く過ぎ去っていく人波に揉まれても寂しいとも思わない。そんな暮らしの中で、通勤の駅のホームや、毎日通う公園のいつもの顔ぶれ。近いようで、遠い距離感。それでも、そのつながっているのか、つながっていないかの関係に小さな安らぎを感じているのではないだろうか?日比谷公園を舞台に展開する平凡な日々。別居中の夫婦の家で、猿の世話をしながら過ごす主人公は、下鉄の車内でのちょっぴり気まずい勘違いによってある女性と出会う。彼女はいつも池の上のベンチに座って、スターバックスの「カフェモカ」を飲んでいる。二人は日比谷公園で再会する。誰にでも起こり得る、まるで自分が毎日体験していることのように錯覚してしまう「日常」。今日だって、なにかが起こることを、期待しているような、していないような。 text by Naobaby
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by bunntami | 2005-06-24 17:17 | 創刊第2号/2005年6月発刊